奥川恭伸さんがどんな家族の中で育ったのか気になりますね。
奥川恭伸さんの父に野球経験はあるのでしょうか?
奥川恭伸さんの兄はどうだったのでしょうか?
また、他に兄弟はいるのでしょうか?
ヤクルトスワローズの期待の星、奥川恭伸さんの家族から育った環境などが見えてくるかもしれませんね。
奥川恭伸さんの父母について、そして奥川恭伸さんの兄について、また奥川恭伸さんの他の兄弟について詳しく調べてみたいと思います。
奥川恭伸さんの家族はどんな人?兄弟はいるのか、父と兄も球児だったのか
奥川恭伸投手が「2021 JERA クライマックスシリーズ セ」のMVP賞に輝きました㊗️🎊#チームスワローズ #絶対大丈夫 #奥川恭伸 #swallows pic.twitter.com/lNyBYOF6iw
— 東京ヤクルトスワローズ公式 (@swallowspr) November 12, 2021
恭伸さんに兄弟はいるのか?
奥川恭伸さんには弟がいるという噂もあったようですが、実際は父母と兄、そして恭伸さんの4人家族です。
なので、2人兄弟ということになりますね。
恭伸さんの父はどんな人?二塁手だった?
父の隆(たかし)さんは、高校時代、金沢市立工業高等学校で野球をされていました。
ポジションは二塁手で、右投げ右打ちの選手でした。
高校3年生のときには、主将を務めていたとのことで、誠実で行動力のある方という推測ができますね。
少なくとも他の部員から頼りにされる存在だったことは間違いなさそうです。
野球経験豊富でしたので、恭伸さんが幼いころはよく野球を教えていました。
また、恭伸さんが宇ノ木ブルーサンダーで本格的に野球を始めるに当たって、小学校1年生の未熟さを懸念し、また体づくりから始められるようにと小学校2年生の冬をスタート時期に選んだのは隆さんでした。
息子を思い、始める時期に至ってまでなかなかしっかりと考察されているところをみると理知的な方なのだと思います。
恭伸さんと父のエピソード
隆さんが唯一恭伸さんを叱ったのは、少年野球時代だったといいます。
そのときのことを隆さんは次のようにコメントされています。
打たれて、味方がエラーするとマイナスな表情を出したことがあり「チームメートは皆、投手の背中を見ている。マウンド上でそんな態度を取るな」と叱りました。当時は、まだ未熟で仕方ない部分もありましたが、そこからマウンドでの立ち居振る舞いには気を使っていると思います。
また、他の取材では恭伸さんが次のようにコメントされています。
“父の教え”が、今も人生の指針だ。星稜高時代、世代屈指の好投手としてメディアに注目された時期に隆さんから「謙虚でいることと、感謝の気持ちを持ち続けなさい」と助言を受けた。「感謝と謙虚の気持ちはしっかり持ち続けたい」と心に刻んでいる。
恭伸さんの謙虚で紳士なところは、隆さんが的確な言葉で導かれてきた結果のようですね。
とはいえ、教えを素直に聞き入れ、しっかりと実行し続けている恭伸さんの実直さもさすがとしか言いようがありません。
また、隆さんは先ほどのコメントと同じときの取材で、次のようにもコメントされています。
今まで言い続けてきたのは「自分の体は、自分で守るしかない」ということです。体の痛みや違和感は、自分にしか分からない。そういったことを周囲の人に言えるようにならないといけない、と。無理をしたらどうなるのか冷静に自分で考えられるようにならないといけない。
隆さんの息子を思う気持ちがひしひしと伝わってくるのはもちろんですが、的確な言葉で恭伸さんの野球選手としての未来を支えられているなという印象を受けますね。
恭伸さんの兄はどんな人?内野手だった?
兄の圭崇(けいしゅう)さんは、父と同じく、高校時代は金沢市立工業高等学校で野球をされていました。
ポジションは内野手だったようですよ。
圭崇さんは恭伸さんの7学年上と少し歳が離れていますね。
そのお陰もあってか喧嘩をした記憶はないほど仲が良いんだといいます。
いくら歳が離れていたからと言っても兄弟であれば一度や二度は喧嘩をしたことがある兄弟の方が多いのではないでしょうか。
そう考えると圭崇さんは弟思いの優しい方なのでしょう。
また、恭伸さんは圭崇さんが楽しそうにプレーする姿を見て野球に興味を持ったとのことで、恭伸さんにとって圭崇さんは兄であると同時に憧れの人だったのかもしれませんね。
そんな圭崇さんは今、消防士として活躍されているんですよ。
恭伸さんの母はどんな人?
母真由美(まゆみ)さんは、野球経験はないものの、長いことバドミントンを続けてこられたスポーツウーマンでした。
バドミントン歴は、小学校4年生から始め、中学校、高校、そして地元の実業団チームで約12年間と合計約21年と、本格的に取り組まれていました。
そんなバドミントンにまつわるものを含め、いくつかエピソードをご紹介したいと思います。
恭伸さんと母のエピソード1
真由美さんが実業団でのバドミントン競技生活を終えた後、バドミントンをやる機会があり当時小学校1年生だった恭伸さんが同行したのをきっかけに、恭伸さんもバドミントンをやり始めたんだとか。
遊びとはいえ、恭伸さんは野球だけでなく、バドミントンの経験もあったんですね!
真由美さんは、バドミントンのシャトルを打つときのフォームとピッチングのフォームにある共通点があることに気づかれて、当時恭伸さんを同行していました。
このことについて真由美さんは次のようにコメントされています。
「バドミントンのラケットの使い方は、ピッチャーのヒジの使い方ととても似ているんです。ラケットは構え方が横ですが、ヒジを前に振り下ろす動きがピッチャー同じ。(右投手の場合は)ラケットを振った時の足の使い方は逆になるのですが、投げるポイントは一緒なのかなと思っていました」
この真由美さんの発想がまさにその通りだったようで、恭伸さんはバドミントンのラケットを振ることで知らぬ間に野球のフォームに磨きをかけていたんですね。
発想の良さといい、真由美さんは機転が利く方なのでしょう。
恭伸さんと母のエピソード2
真由美さんは、恭伸さんが小学校から中学校の初めくらいまで、家でスポンジボールでの練習を一緒にしていたんですよ。
このことについて次のようにコメントされています。
「小学校から中学校の初めくらいまで、自宅内でスポンジボールを投げて、打つ練習をやっていたんです。でも学年が上がるごとにボールが当たると痛くなるので、私がヘルメットを被ってティーを上げていました。そうしたらわざと私に当てようとして打ってくるんですよ(笑)。そんなことをしていたら、そのまま上達していって(笑)」
恭伸さんは家でも外でも野球漬けの日々を過ごされていたことがわかりますね。
それだけ大好きな野球でプロの投手になれた幸せ者であると同時に、努力を惜しまずに練習を続けてこられたと思うとその持久力と精神力は相当なものだということがわかります。
また、息子の上達を願って自分の時間を割いて一緒に練習をしていた真由美さん。
1週間や2週間そこらならまだしも日常的にとなると、できそうでいてなかなか難しいことだと思います。
本当に息子思いで継続力のあるまめな方ですね!
まとめ
奥川恭伸さんの家族についてまとめたいと思います。
恭伸さんの父
- 高校球児だった。
- ポジションは二塁手、右投げ右打ち。
- 高校3年生のときには主将を務めていた。
- 誠実で行動力があり、理知的と思われる。
- 的確な言葉で奥川恭伸さんを導く。
恭伸さんの兄
- 二人兄弟の兄。
- 奥川恭伸さんの7学年上。
- 高校球児だった。
- ポジションは内野手。
- 優しいと思われる。
- 恭伸さんの憧れの人!?
- 今は消防士。
恭伸さんの母
- バドミントン歴約21年のスポーツウーマン。
- 発想が良く、機転が利く。継続力があり、まめだと思われる。
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